大陸全土を巻き込んだ、女神アスタルテとの壮絶な戦いから、早三年。
その犠牲と代償は少なくはなかった。だが、それでも人々は――ベオクとラグズ、二つの種族は、共に、女神の子「マンナズ」として、手を取り合ってゆくことを自らの意志で選んだ。
勿論、そう簡単に事が運ぶわけではなく、一筋縄ではゆかぬことも多い。今もまた、根強い互いの反感などから来る気苦労は絶えない。それでも、ラグズ奴隷解放、などということをしている自分たちは、以前と比べれば、随分と理解されて来ている、という実感は強くあった。
ラグズ奴隷の解放――そういう言葉そのものが空虚に響いていた年月の長さを思えば、多少の困難などはなんともないし、乗り越えられる、そうトパックは確信している。
だが、それはそれ。
グラーヌ領領主、ラグズ奴隷解放軍首領、少しばかり風貌が大人びてきて精悍さも加わり、それなりに貫禄もついてきたトパックの目下の悩みとは、実はあまり声を大にして言えるようなものではなかった。その上結構深刻で、ここ数日はお陰で寝ても寝付けず、すっかり寝不足である。
辛うじて相談できそうな相手といえば、砂漠に来る前からの相棒ムワリムだが、彼は今はグラーヌを離れ、帝都シエネで元老院議員として忙しい日々を送っている。この場にいない人物に相談は、したくても出来るわけがなかった。
「はぁ…けどなあ」
からりと今日も快晴の、どこまでも続く青空に不釣合いな、重たい溜息。
「ムワリムは帝都、とはいっても、ムワリムでもこりゃどうにもならないよな。あとは、カリル師匠…いや、いやいや、そりゃ一番相談しちゃいけない相手だ!あと知り合いで、残るのはミカヤだけど、…ミカヤはいいけど、オマケのサザだよな、あいつこそ知られたくないよな…うーん………」
ぐるぐると、同じ場所を行ったり来たり。流石に周囲の仲間も心配そうにこっそり様子を伺っているのだが、肝心の首領はといえば、完全に一人の世界に入り込んでいる。が――
「あ!」
やおら声をあげて立ち止まり、顔をあげて満面の笑みで、相槌を打つ。
「いたじゃないか!なんでおれ、忘れてたんだよ!」
尚も怪訝そうに(或いは心配そうに)一瞥をくれるラグズたちを他所に、トパックは己の素晴らしい思い付きを即実行すべく、行動に移っていた。
*
「というわけなんだ!おれに杖の扱い方、教えてくれよ!」
挨拶もそこそこ、突如門戸を開いてくれた人物へ、トパックはろくすっぽ事情も説明せずに一方的に告げた。
「ちょっと…ちょっと、ちょっと待ってくれ、トパック」他に言いたいことが山のようにある、と、普段は物憂げで穏やか、どちらかといえば諍いなんてものは好まない顔には遠慮がちにではあるが、書いてある。確かに、それはそうだよなあ。トパックは深呼吸をして、改めて事情を説明することにした。
「ああ、えっとおれがここに来た理由は、杖の扱い方を教えて欲しいから!で、師匠にそんなこと今更聞いたらぶっとばされるから却下、エリンシア女王やユリシーズやグレイル傭兵団のミストとかキルロイ、セネリオなんかもどっから師匠にバレっかわかんないから同じく却下、サナキ様は杖使えない、ミカヤがいいかなあと思ったんだけどあれだろ、絶対サザにバレるだろ?したらおれそれで多分向こう五年はからかわれ続けるから、それはちょっと勘弁したいし却下、ローラの孤児院は先に訪ねたんだけどさぁ、杖の使い方、つったらいきなり杖振りかぶって殴りかかってきてさぁ」
「…ああ、なんだか、すごく想像がつくよ。とりあえず、中に入って、座って、お茶でも飲むといいよ」
「え?あ、ああ、ありがとな!そういえばおれ、すっげえ喉渇いてたんだよ」
ここまでが、今までのやりとりである。考えてみると確かに無茶苦茶なのだが、まあサザじゃないしいいや。怒ってないようだし。滅多に怒ってるところ見たことないけど。
そんなトパックの思惑(?)を知ってか知らずか、突如尋ねてきた知人を、今はこの国境砦の教会堂を預かる元・デイン王ペレアスは、とりあえずは客人として扱ってくれた。招かれた部屋は砦という建物の性質上どちらかといえば無骨で簡素だが、それなりの長旅を経て、ろくろく宿もとらなかったトパックにしてみると、何やら天国のようにも見える。
「…それにしても、突然グラーヌ候が密入国してまで尋ねてきて、その目的が杖の扱い方、だなんてのは、普通なら他の目的を疑うところだけど」
「あーないない、そんなもん、ないって!」
「うん、それは、トパックだからね」
「だろー。密入国したのは、勢いっていうか、うん……」正直めんどくさかった。とは、流石に言えなかった。
ペレアスという青年については、三年前とあるきっかけから言葉を交わして以来、それなりにやりとりもあり、ある程度は知っている。見た目どおり穏やかで、相変わらず少し気弱な側面はあるが、三年前と比べると場数をこなしている分しっかりとしているし、実はこれであまり誤魔化しが効かない。そのあたりは、それこそ友人サザの方が融通がきくかもしれない。が、最早後の祭りだった。
「……ベグニオンとデインの関係が、両女王の意志で大分落ち着いてるとはいえ、密入国はいくらなんでも……」
あからさまな溜息と、深刻そうな表情。なるほどこれはちょっとまずい。トパックはあえてそれには気づかないフリをして、両頬にたっぷり食べ物を詰め込んで、もぐもぐ咀嚼して、さらに少しさめたお茶で流し込んで飲み込んでから、きょとんとした眼差しをペレアスに向けた―当然、わざとである。
「えっ、やっぱまずい」
「……まずくはない、っていうその、トパックの発想自体が、ちょっとわからないよ……」うーんこれは、うん、無理かな。なら、あれだ、もっと誤魔化せばいい。よし。
「あちゃー、やっぱりか。ただ、あれだろ、ミカヤは女王だし、サザはミカヤの付属品だし、おれがデインに来てるなんてバレたら、あいつのことだからどういういちゃもんつけてくるか、わかんないし」その点、ペレアスが国境付近にいてくれたってのは、ラッキーだったよな!満面の笑み、ついでに、卓上に残っていたパンも頬張る。実際、ほぼ飲まず食わずでここまで来ていて、改めて食べ物を目の当たりにすると止まらなかった。
その間も、当然ペレアスの(控え目ながらも)不審そうな表情は気づいていたが、知らないフリだ。
「それにしても、僕が偶然ノクスを訪れていたからよかったようなものの……これが、例えば、サザだったら、どうするつもりだったんだい?」
「えっ、それはないだろ?だってあいつ、公職についてるけどついてないよーなもんじゃん。ノクスはデインだと神殿と要衝の砦っていう二つの側面があるから、巡回にしても基本的には神職絡みの連中だけだろ?ペレアスと会う可能性は下手するとネヴァサに潜り込むよりは全然高いし!タイミング的にも多分大丈夫だろうなーって、滞在期間て、だいたい半年くらいだろ?」ぺらぺらとデインの内部情報を当たり前みたいに喋りだすトパックに、ペレアスは唖然したのか声も出ないようだ。
―――まあ、このあたりは、それは、おれだって、今やグラーヌ公だの言われる立場だし?ましてデインとの国交となったら、実際多少先手を打たないと、やってらんないし。ただでさえ面倒なのに、更に面倒に巻き込まれるのなんてのは、ごめんだからなあ。
ベグニオン圧政下における弾圧のお陰で、今のデインでは極端に神官の数が減っているはずだ。それでも信仰の中心パルメニー及びこのノクスは重要視されていることから、司教クラスとはゆかないまでも、司祭レベルの奇蹟を扱えるそれなりの人物が配属されるだろう。
そしてペレアスは元々は正確には神職ではなかったのだが、聖杖の扱い手として、また王位を退いた後の収まりどころとして、女神の僕として生きる道を選んでいた。教会としても、高位の聖杖の扱い手の絶対的な不足から、様々な噂のある先代の王を事実上かくまうことをよしとして、つまり神殿はペレアスの後ろ盾のような、ものなのだ。
更に加えれば、ベグニオンとデインの関係は確かに、今は皇帝サナキと女王ミカヤによる協定により、落ち着いてはいる。が、宗教的な側面から見ればあくまでも、表面上は落ち着いているというだけだった。
例えばの話だが、これがトパックが帝都シエネのマナイル大神殿の名代として密入国し、ペレアスを尋ねた、であれば、あらゆる意味で大問題だったし、トパックとて無茶はしなかった。今回はあくまでも非公式、グラーヌ公トパックではなく、一個人としての来訪なのだ。
「その、情報の出所について、……詮索はしないよ……」
「まあ、それはいいんだけどさ。教えてくれるんだろ?」ぐっと茶で食べ物を飲み込んでから、トパックはもう一度、念を押す。
すると案の定、ペレアスは「それは、構わないけれど」と妙に疲れた風情で応えたのだ。
*
「そもそも、どうしてそんなに突然に、やっきになって杖を使おうと思ったんだい?切羽詰って、手段を選ばず密入国するくらいに」
「あ、やっぱ地味に怒ってねえ?……コトバの端々にトゲを感じる……」
「気のせいだよ」
「ならいいけどな!って、いやー……ちょっとなあ、まあ、…おれにもいろいろあったんだよ……」
ふ、となんとなく深刻そうな雰囲気をまとって目を反らして誤摩化そうとトパックは試みる。たいがい無駄に終わる無駄な努力だが、やはり無駄だった。
「別に、いいんだよ、サザを呼んでも」やはり、普段とは変わらない物言いの筈が、やたらと冷徹に聞こえるのは、多分気のせい、ではない。
「うわっそれは駄目!やめてくれ!おれの向こう五年間の精神的平穏のために、やめてくれ!」
「なら、その向こう五年間の精神的平穏のために、理由くらいは、教えてほしい」
流石にここまで言われて(更にどうも地味に怒っているようなので)、誤摩化しきれるものでもないなあ、とトパックはため息を小さく落とす。まあ、隠すようなことでもないし、相手も魔道の遣い手ならバレてるような気もするし。
とはいえ、素直にはい、と言えるかというと、少しばかり微妙だった。サザつきのミカヤに比べたら、(主に精神的平穏のために)マシとはいえ、この目の前の青年は、魔道の才に関しては折り紙つきなのだ――本人の態度こそ謙虚だが、帝国でも扱える人物が限られる上に、基本的に禁忌とされる闇魔道をあっさり使いこなすわ、扱いが至難の業と言われる闇精と契約するわ、秀才というか天才である。自分と比べる、という発想すら、トパックの中にはない。そもそも住んでいる世界が違う相手なのだから、嫉妬しようがない、というやつだ。
だが、そういう相手に、いざ自分の能力の無さを説明しなければならない、というのも、少しばかりしんどいものがないわけではなかった。
それでもサザにバレるよりはいいけど。
「……おれさぁ、特別魔法の才能あるわけじゃないんだよ。かといって、身体だって人よりずっと小さいし、だから武器なんかろくにもてないし、ほんと、すばしっこいだけが取り柄で、かといって、サザみたいに手先が器用ってんでもないしさ」
自分に全く才能がない、とは、トパックも考えてはいない。むしろ、ある程度は自負もあった。が、それでも各々が持っている資質となると、これはもうどうしようもない。そして、魔道とは、その扱いが難しくなればなるほどに、その資質によるところが大きくなるのだ。
「それでも、ラグズ奴隷のために戦いたいって気持ちは、あったんだ。あの時のおれは、それこそラグズ奴隷ってのは一方的に弱者で、被害者でさ。勿論、今だってそういう側面が強いって感覚は否定しないし、主張もやめない…ああ、そうじゃなくて、そういうやつらを守るために、ってなったら、やっぱり戦う手段が必要になってきて、それで、藁にも縋る思いだったんだよ」
ラグズたちと共に戦いたい、そうなれば、自ずと手に武器を携えることになる。ところが生憎、元貴族とはいえたかだか十代の子供に武器を提供してくれる酔狂な人物など、どこにもいなかった。が、魔道となれば話は別だ。幸い、元貴族の嫡子であるトパックには魔道の心得もあった。魔道書ならば、多少は手持ちもあった。ゆえに、手段として選んだまでなのだ。
「けどさぁ!何度も何度も失敗して、ようやく精霊扱うことに成功して、一人前になってみたら、今度はお前は魔道は扱えるけど人並みだ、だぜ?」
何故こんな話をしだしたかといえば、単純に核心に触れるのをなるべく遅らせたいというのもあったが、トパック自身もその程度の理由以外、実のところよくわからなかった。そもそも、自分があまり魔道の資質がない、そういう話を他人にしたいと思ったことも殆どない。師事する相手ならばいざ知らず、ただの知り合いだ。
それでも、トパックの口は止まることはなかった。
「なんだかなあ、それはそれで、悪くはないんだけど、最初から限界が見えてるってのもなあ」
「君の師匠、クリミアの、カリルという女性魔道師だろう。彼女、何か言わなかったかい?その、君の、才能に関して」
「ええ?まあ、凡人だ、っては言われたけどなあ……ああ、そうそう、あと、おれって、飲み込みは早いけど扱いが雑だとは、何回も怒られたっけかなあ……」
確かに、飲み込みの早さに関しては、カリルのお墨付きだ。ていうか知り合いだったけ?いや、そういえば、三年前の戦いのときに、なんか、一緒に戦ってたとかなんとか、師匠も言ってたっけかなあ。
「でもそれはそれで、標準レベルで使えないわけでもないし。背伸びしなきゃ、別に問題もなかったんだけどな……三精霊魔法に関してはさ。ところが、ほら、コレだ。こっちに関しては理屈が全く違うし、けど、反応しないわけでもないから、困るんだよなあ…」
言いながら、差し出された聖杖の宝玉部分は、確かにほのかに光を放つ――トパックの、魔力そのものに反応していた。
が、その光は不規則に、点滅を繰り返している。
通常、聖杖は持つものの魔力に反応し力を発揮するもので、その理屈自体はどの体系の魔道でもある程度の力を有していれば応用の効く分野だ。そして、一度魔力に反応してその魔力が消費されない限り―つまり、聖杖に込められた効果が発揮されない限りにおいて、消えることはなかった。今、トパックが携えているのは初歩的な治癒効果を持つ[ライブの杖]である。
「な?ずっと、こんななんだぜ」
「トパック、君は、炎精と相性がよかった、そうだね?」
「あ、ああ。一番最初に使役出来たのもだし、炎精に関しては……一応、それなり、だ」
「それなら、少し、待っててくれ」
「へ?いいけど」
しばらくして戻ってきたペレアスが手渡して来た聖杖は、トパックも見たことがあった。少しばかり特殊な形状と宝玉、一定時間暗闇を照らし出す[トーチの杖]、使いどころは限られるものの、これを応用した技術などは既に帝都では一般的だった。
「……トーチの杖か?け、けどさぁペレアス、それって、リライブの杖よりも高位の、だろ?おれ、使えないぜ」
「込められた魔力をすべて解放するのは無理だと思う。ただ、この聖杖の魔力の源は、炎精なんだ」
「へ、へ?へえ?そうなのか?」
「……聖杖を扱うのは、基本的に神職に携わること、それが最低条件だ。けれど例外もある」
「ああ、女神に認められた、魔道を極めたもの、だろ?」女神に認められたもの――三年前、創造主アスタルテとの戦いの最中、トパックもまた力を授かっていた。それにより、魔道師でありながらも聖杖を扱えるようになったのだ。
「そう。そして、何故、魔道を極めた賢者が、聖杖を扱えると思う?」
「……それは……あ、そうか!聖杖とはいうけれど、もしかすると、この、魔力の源って、理精なのか?」
「流石だね。だから、体系としては本来ならば精霊魔法に分類されるものだ。ただ、そうしないのは、奇蹟とは即ち女神の御技なり、そうしておきたいベグニオン帝国の都合でしかない」
なんとなく、それはトパックにもわかるような気がした。特に、かつての元老院の秘密主義や独占状況を考えてみれば、むしろ当然と思える。
「けど、使役の理屈は違うんだよな?」
「そうだね。だから、初めて聖杖を手にした魔道師は戸惑うし、巧く扱えない。最も、聖杖には各々が司る精霊というものが存在しているわけだから、その相性さえ合えば、完全にではないけれど、杖に込められた魔力を解放することが出来る。……やってごらん」
「あ、うん……」
そうは言うものの…と、トパックは半信半疑で手わたされた聖杖を握り締める。通常の聖杖より重たく感じられるそれを、しっかりと両手で握り締めてから、トパックは精神を集中させてみた。すると――少しばかりすると、宝玉の部分が明滅を開始して、やがてほのかな光があふれ出してくる。
「ホントだ!すっげー、おれ、ライブの杖ですらろくすっぽ使えなかったのに!」
光は輝くほどというわけではなく、こうして日中の屋内で辛うじて確認できる程度のものではあるが、確かに聖杖の効力は発揮されているようだ。
だが、それも束の間だった。
「あ、あれ?」トパックは、急速に力が抜けてゆくのを感じた。力、というよりも精神力のようなもの―ああ、これは魔力だ。それも、一気に。大昔、魔道を志した頃、そういや似たような感覚を覚えた、ような――
「トパック!」
そこで、トパックは意識を手放した。
*
「……グラーヌ領、とかってさ、皇帝は認めてくれたし、元老院の連中も、半分くらいは認めてくれて、おれも、一応領主とかになったけどさ」
遠路遥々尋ねてきて、早々に聖杖の扱い方を教えてくれ、と一方的に頼み込んで、無茶をして倒れて、面倒を見てもらって――あー、ほんっと、この場にサザがいなくてよかった。こればっかりは女神さまに感謝だな。サザがいたら、向こう三年くらい馬鹿にされ続けたに違いない。
結局、扱った事もないような高位の聖杖を加減もよくわからず使ってしまった結果、殆ど無駄に魔力を消耗してしまい、意識をトバす羽目になってしまった
。
詳しく説明をしなかった自分が悪かった、とペレアスは申し訳なさそうに言うけれど、どう考えても、そう、女神さまの力を授かって尚聖杖の扱いがまともに出来ないおれのが悪い、トパックはトパックでそう考えているものだから、なんとも微妙な空気が一時停滞していた。
それを払拭しようと、ついでにちゃんと理由も説明していなかったことをトパックは思い出して、徐に、(トパックにしては珍しく)重い口を開いたのだ。
「そんなに世の中、簡単に、変わったりは、しないんだよなぁ……」
ぼそぼそと独り言みたいに一方的に喋っているトパックだが、実はこうしている間もペレアスは魔力を充填してくれていたりする――戦場などで、万が一魔力を使い果たしてしまった場合、高位の魔道遣いは他者に己の魔力をごく少量ではあるが、分け与えることが出来る。何から何まで迷惑掛けっぱなしなのだが、もうここまで来ると自己嫌悪は通り越していた。
「教会は、ベオクもラグズも等しく女神の子だって宣言をした。皇帝サナキを始めとした各国の王は、共同宣言と条約を結んだ。けど、ひとの心、てのは、そう簡単には、変わらない、よなあ」
戦争だとか、内乱、そういうほどにそこまで大げさにはなってはいない。それは、ひとえに皇帝サナキの努力があるからだ。それでも、小競り合い程度のものは避けられない。それもまた、致し方なかった。
「昔に比べたら、まあ、マシにはなったけど、な。戦争も、ベオクとラグズもさ。でもな、そういうこともだけど、それよりも、もっと切羽詰って、おれがもっとうまく聖杖を使えたら、癒しの力があったらって、さ。そういうことも何度かあったんだ。ヘタに聖杖も扱えるようになったもんだから、昔はなんとも思わなかったのに、妙に悔しくなっちまって」
妙に、どころではない。
三年前の戦いの最中に力を授かりながら、得手ではないからと努力しなかった自分自身を、誰よりも呪うくらいに、悔しかった。が、どんなに歯を食いしばっても、苦い涙を呑んでも、聖杖の力はろくろく扱えず、どうにもならなかった――薬草などはあるにせよ、それ以上ランクの上がる傷薬などは、物流も滞りがちのグラーヌでは貴重品である。
傷を癒す手段を持ちながら扱い切れず、仲間たちが苦しんでいるのに助けられない。
彼らは誰も、トパックを責めなかった。だからこそ、余計に苦しく、どうしようもない思いを抱えていた――だが、そうしたトパックの苦悩を、いつでもいち早く察して、聞いてくれていたムワリムは、グラーヌにはいない。彼は帝都シエネだ。
サザにバレたくはない、そういう言い訳も、言ってみればトパックの意地のようなものだった。サザにだけは、弱味を見せたくはない。口ではああは言うが、サザがそういう事でからかってくるなどと、トパック自身思ってはいない。
そういう諸々が、今まで少しずつ我慢してきていたものが、零れ落ちるようにぽろぽろと出てきてしまう。他人に魔力を分けてもらう経験なんてのは初めてだけど、こんなに気分がいいもんなんだなあ。少し、気持ちが緩んでいるような気も、していた。
「これなら、別にいらなかったんだよなあ……。女神さまってさ、結構残酷だって、思ったよ」
こんなことを吐き出すなんて、らしくない。
けれども。トパックは、なんとなく何故、今、自分がこんなことをしているのか、段々とわかってきていた。
わざわざ密入国、だなんて非常識な手段でここまで必死に来たのだって、本当は、手っ取り早く逃げたかったから、かもしれない。
気晴らしをしてくればよいと、笑顔で送り出してくれた仲間たちの顔を、今は、思い出せない。思い出すと、尚更にいたたまれなかった。
飲み込んだ言葉と感情の味が、妙な苦さとなって、トパックの口の中に広がる。
ペレアスを頼ったのも、半分くらいは無意識だった。師匠カリルはあれで懐が深いところがあるし、厳しいばかりではないけれど、なんとなく顔が合わせ辛い。他の連中はそれこそミカヤ(とサザ)以外は殆ど面識がないし、それを言えばペレアスも同じだが、彼とは三年前、改めて話をする機会を経てみれば、反ラグズ思想を持つデイン人にしては、聊か奇妙な考え方の、話のわかる人物だった。それに加えて闇魔道を操る才の持ち主で、ラグズ絡みで手紙のやりとりなども何度かしている。
何よりも、この、穏やかさだ。今だって(言いたい事はたぶん山ほどあるだろうに)静かにトパックの話を聞いてくれている。
―――ああ、そっか。おれ、誰かに、ただ、話を聞いて欲しかった。そうなのかもしれない。
失った魔力は、時間がたてば自ずと回復するものだ。それでも、今回のように急速に消耗した場合は、下手をすると二、三日意識を取り戻せなかったりもする。
「……そうだね、女神様は時々、とても残酷な選択をなさる」
魔力の補給が終わったのか、翳していた手のひらを戻し、小さく息をついてペレアスが応じる。
その、言葉も、表情も、トパックの中にわだかまっている感情を、ほぐしてくれるように穏やかで、胸の奥の方から、ぐっと詰まるような感覚が沸いてきた。
「必要としている時には使えなかった力を、あとから、まるで、気紛れみたいに授けて下さったり……それこそ、不要なほどの、ひとが扱うには余りあるようなものまでも」
とても、静かな声だった。
そして、その静けさが、この、トパックにしてみたら羨むような、天賦の才を持つ青年の抱えているものの重さの、その一端のように思えた。
師匠カリルの言葉が脳裏に蘇る――精霊と契約している者は、相当の覚悟を以ってするものだ、自分自身をエサに精霊を飼うようなもんだ――あの時は、少し想像しただけで気分が悪くなって、自分とは無縁の話と切り捨てたものだったけれど。三精霊と言われる理精ですらそれならば、更に扱い辛い闇精を"自分自身を餌に飼う"なんて、それこそ想像したくはないし、あえてこちらから詮索しよう、とも思わなかった。
「……なあ、ペレアスは、最初から人よりも、ずっと、聖杖の扱いが巧かったじゃないか。それも、何か理由があるのか?」
「何度祈りを試しても、魔力を込めても聖杖はぼんやりと反応するだけ……魔道を志すよりもずっと前の話だよ。それが、女神の力を授かったとたん、あっさり扱えるようになった、それだけのことなんだ」
そう切り出したペレアスの眼差しは、トパックではなく、少しばかり遠くを見ていた。
「君は、……たいがいの魔道士と言われている人間は皆そうだけど、三精霊は全てそれなりに扱えるだろう?」
「あ、うん、……正直、炎精以外は、苦手だけど」
基本的に、魔道士と言われる人間は得手不得手はあれども全ての精霊の扱いを心得ていなければならない。それは、大陸に存在する精霊のバランスを取るためでもあるし、暴発を防ぐためでもある。
「僕はそのうちの、雷精しか扱うことは出来ないんだよ」
「え……そうなのか、でも」でも、そこまでを言ってから、続く言葉が自分の中にはないことに、気づいた。そんな話があるのだろうか。砂漠の、魔法を教えてくれたじいちゃんは、話してくれたっけか。カリル師匠は、言ってなかった、多分。
第一それなら、どうやってバランスを取るのだろう。精霊は、常に互いに影響しあうもの、彼らの動きを把握しなければ、そもそも魔道など扱えない。が、言葉を続けないのも何やらおかしな気もして、トパックは必死に頭を巡らせた。どういう理屈なのか、自分の中にある知識を総動員した。
「……それってつまり……あれだ、闇精との契約に理精が反発っていうか、怯えて話にならないから、みたいなもんか?気性が荒っぽい雷精以外は、闇精に負けちまう、とか」
「確かに、それも理由のひとつなんだ。けれども、そもそも、そういう事自体珍しいし、幸運なのか不幸なのかも、わからない。精霊の護符にしても、もしかすると、……僕はそうは思わなかったけれど、精霊からのものだったかもしれない」
そういう話も、聞いたことはあった。稀に、精霊の方から、ふさわしい、と判断した人間に、契約を迫ることがあるのだという。
それを、もし、トパックが「他人の話」として聞いたのならば、まず単純に羨ましいと思っただろう。が、己の身に起きたら、どうだったろうか。
昔ならば――魔道を志していた頃ならば、喜んだかもしれない。けれど、そのうち、その代償に気づけば、間違いなく後悔しただろう。
トパックは確かに力が欲しかった、無力で何のとりえもない自分にも出来る事が、手段が、欲しかった。けれども過分な力は必要はない。それを、扱いきれる自信がないからだ。力に、溺れない保障もない。
「君は、まだ少し慣れていないだけだ。だから、少しずつ訓練してゆけば、すぐに初歩的な聖杖くらい扱えるようになる」
「そ、そっか……。おれも、ヘンに悩んでないで、昔みたいにいろいろやってみればよかったのかなあ」
「それは、殆ど意味がないよ。魔道書だって、扱い方を心得てなければどうにもならなかっただろう?」
「あ、そうか。おれのまわり、生憎聖杖に慣れてるヤツなんて、いないからなあ……」
「それは、僕があとで教えるよ。さっきので基本的な感覚はわかったと思うから、すぐに出来るようになるよ」
言いながら立ち上がるペレアスは、既にいつもの穏やかな青年に戻っていた――精霊と契約し、こうしている今も、その身を削り取られている、などとは知らなければわからない程に。
「ああ、うん、おれ、やっぱ、最強の凡魔道士、目指そう」
「……トパック?」
「カリル師匠とさ、昔、イロイロ話して、どうせなら、最強の凡魔道士目指すんだ、って、決めてたんだよ」
あれはもう、六年以上も前の話になる。現クリミア女王エリンシアがまだ王女で、グレイル傭兵団やアイクという名前も、まだテリウス中では知られてはいなかった、そしてその名を一躍有名にしたデイン―クリミア戦争の最中に知り合った、カリルという女性魔道士と、同じ炎使いという事もありトパックはよく一緒にいたものだった。あの時のトパックはまだ魔道士といっても半人前に毛が生えたようなもので、ベテラン魔道士のカリルに色々なことを教えて貰った。そして、カリルに認められた時、トパックは彼女の前でこう宣言したのだった―それなら、最強の凡魔道士を目指す。
特別な資質があるわけではない、そう宣言されてもあの時のトパックはめげなかったし、諦める問いうことも考えてはいなかった。もう、六年も前だ。今にしてみればまだまだ世の中のことはわかっていなかったし、自分は幼かった。その分向こう見ずで、無茶を無茶とも思わず、兎に角前ばかりを向いていた。
―――そうだよなあ。比べても仕方ない。そんな事を言いながら、やっぱりおれ、どこかで、自分とペレアスのことを、比較して、卑下してたんだろうなあ。才能がないとか、無理だとか。昔のおれが聞いたら、きっと、大笑いするだろな。
あの時と、それでも、同じ結論を出せたということだけは、少しばかり嬉しかった。余計な力なんてものは必要ない。自分にできる範囲で、最高の結果を出せればいい。
「最強の、凡魔道士か。……ああ、とても、トパックらしくい響きだね」
「な、だろ?へへっ、そうと決まれば……」
「魔力は戻っているけれど、今日は一日休まなければ、またすぐ倒れるよ」
「あ、…やっぱ、そっか。じゃあおれ、しばらくここにいようかなあ……サザとかミカヤの顔も、見たいし」
「丁度、三日後ネヴァサの神殿に行く用事があるから、一緒に行こう。女王やサザには、先に手紙を書いておくよ」
「そっか、なら、そうしよう」
「明日には出発するけれど、支度は任せて、君はゆっくり休むんだよ」しっかりと釘をさす、トパックが尋ねてきた時の対応といい、驚くくらいにペレアスという青年は細やかな心遣いをしてくれる。こういう事は、やろうと思ってもなかなか出来るものではないのだ。
―――本当は、ペレアスがちゃんと王様をしてるデインならって、おれは、思ったんだけどなあ。
現女王ミカヤの事もトパックはよく知っているし、好きだった。そしてその選択が、ミカヤとペレアス両者によるもので、デイン国民が歓迎したとなれば、ベグニオン人であるトパックが口を挟むことではなかった。
それに、こうしているペレアスは、昔よりもずっと穏やかで、けれども生き生きとしている気がする。
だから、トパックは決してそのことを、口にするつもりはなかった。
「あとさ、それから、……ありがとな。よく考えたらおれ、結構無茶振りしただろ?けどちゃんと、話、聞いてくれたし、教えてくれてさ」
改めて、照れくさそうに言うと、にこやかに「気にすることじゃない」とあっさりと応じて、それ以上の追求もすることはない。
たぶん、ペレアスはトパックの思惑なんてものは、気づいているのだ。
「うん、いや、とにかく、ありがとう。礼だけは、きっちり言っときたいからさ」
ペレアスは、少しばかり不思議そうな顔をするものの、それだけだった。ああ、もう、とりあえず、久しぶりにゆっくりしよう、どうせ、明日はまたたっぷり歩くことになるんだろうし。決めるが早いか、トパックはそのまま寝台にすとんと倒れこんだ。しばらくすると、扉の閉まる音が聞こえる。
部屋の中は、窓から入ってくる太陽の光もあってか、ほんのりと温かい。晩秋のデインは、グラーヌのそれより遥かに寒かったけれど、こうしているとまるで天国みたいだ。グラーヌにいるときみたいにあれこれとしなきゃならないことも、今はない。そう思うと、少しずつ、瞼も重くなってくる。
トパックはあえてその重さに逆らわない事にして、久しぶりに、穏やかに眠りについたのだった。