少年兵、ともいえない。
武装などはしておらず、ろくな「防具」などは身につけず、ただ……徒歩で半日ほど南に下ると、集落があるというから、敢えてそれを避けるようなセネリオの指示に従い、街道とはいえぬような悪路を行軍していた、その矢先だった。
後頭部のわずかな痛みにミストが振り返ると、そこにいたのが、ミストよりもずっと背の低い、少年だった。まだあどけないその頬は、雪国特有の現象なのか真っ赤にそまり、幼さを強調している。
ただ、その少年の表情が――顔のつくり自体の幼さとは裏腹に、あまりにも強い強い憎悪にまみれていて――ミストは石を投げつけられた、ということに留意するより、幼い子供にそのような顔をされている、その原因は自分なのか、という事にただただ、衝撃を受けていた。
「何すんだっ、この、ガキッ!」
ミストのすぐ側に立っていた青年が、逞しい上背とドスの聞いた声で脅すように怒鳴っても、少年は一方も引かず、睨みつけている。握り締めた拳は、震えていた。
「出ていけ!この侵略者!」
少年特有の高い声が、ミストの脳裏に直接突き刺さる。鋭利な刃で、皮膚を切り裂かれたような感覚に、ミストは小さな悲鳴を、喉の奥であげた。
「な、何、言ってんだこのガキ……おい、ミスト、大丈夫かよ?」
青年の怪訝そうな、打って変わっての優しげな懸念にも、ミストは応えることができなかった。
―――侵略者?何のこと?だって、私たち……でも、ここは、デインで…けれど、神使様のお願いで、お兄ちゃんは指揮官になって…それで。
呆然となるミストの脳裏に、三年前の記憶が突然蘇る。
そうだ、ここは、デインなのだ。
―――あの時と…同じ?
あの時、兄のアイクがデイン人の女性と話していた場面を、ミストは目撃していた。どうやら女性は、ジルを知っているらしく、彼女を訪ねてきたのだが、アイクをジルの護衛か何かと勘違いしたらしい。
彼女の言った言葉を聞いて、ミストはひどく、衝撃を受けた。大義だの、国だの、そういう概念をミストはあまり理解してはいない。傭兵団という、国という概念に囚われにくい集団に属していればこその感覚なのだが、それがでは客観的にどういうことなのか、世間的にはどのように見られるのか――そういうことを、ミストは考えてはいなかった。
ミストは父の作ったこの傭兵団が好きだったのだ。そして、父亡き跡を継いだ兄のことも、大好きだった。傭兵団のみんなのことも、大好きだった。
だから、まさか、その「傭兵団」に向かって――あくまでもミストにとっては、ベグニオン皇帝サナキの要請で大軍勢を率いてようが何であろうが、あくまでも自身が属するのは「グレイル傭兵団」であり、それ以外何者でもなかったのだ――「侵略者」などという、この幼い少年の存在自体が、あまりにも理解の範疇を超えていた。
「出てけよ!この、侵略者!デインの土を……この国を、これ以上、お前達の野蛮な足で汚すな!」
「んだと……、この!」
「やめてボーレ!やめてよ!」
少年に近づき、その襟元を掴もうとしたボーレを、とっさにミストは止めた。悲鳴だった。
彼女の力で、強力の斧使いであるボーレを止めることなど、物理的に不可能だ。だが、ボーレは振り上げかけた手を、下ろし、憮然とした表情のまま、少年を見下ろしていた。
「やめて……やめてよ………おねがい、だから」
「お、おい、ミスト、おまえ…」
背後のミストと眼前の少年との間で視線を交互にさせながら、ボーレも困り果てていた。この状況、せめて兄オスカーなりセネリオやティアマトがいれば、何とかしてくれたのかもしれない。だが、これは、どうしたものか。
少なくとも、目の前の少年にその手段はないが、手に小ぶりのナイフでも持っていようものなら、刺し違えてでも殺しに来るであろう殺気を、その幼い身体から溢れている。
「殺せよ」
「なっ………」
「殺すなら殺せばいい!けど、おれたちは、死んでも絶対にお前たちのことを許さない!巫女様は、絶対に、お前たちになんか、負けるわけがない!」
結局、あの場は顔色が悪くなったミストをボーレが抱えるようにして立ち去ることで収束を見た。少年は、強い、鋭すぎる視線をミストとボーレの背に、いつまでも、いつまでも向けていた。
「何を寝言を言っているのですか。僕達は紛れもない、侵略者ですよ」
ボーレよりその話を聞くや否や、セネリオはいとも簡単にそう言い捨てた。言外にその程度で時間を煩わせるな、と言っている。
セネリオの辛辣な言葉に唸ったのはボーレではなく、ミストだった。ボーレはただ、彼女の心を少しでも落ち着かせようと、そっと小さな肩に無骨な手をのせる。彼女の細い肩は、判りやすいほどに震えていた。
「神使の言葉を信じていたのですか?あの、自己の権威のみに生き虚勢ばかりを張っている、あの?」
セネリオの言葉の端々からは、神使に対する蔑視がありありと見えた。普段のミストならば、セネリオの言い草を反射的に否定していただろう。だが、今のミストにそれは出来なかった。
ただ、唇を強くかみ締めることしか出来ない。血の味が、にじんできた。
「そもそも、神使が無理矢理デイン領内を通過しよう、などと言い出さなければ、このような事にはならなかったのです。恐らくデイン軍と戦う必要もなければ、恨まれる事もなかった」
続くセネリオの言葉は、ひどく口惜しげだった。この怜悧な少年にしては珍しく、悔いのような感情がにじみ出ており、それを隠そうともしていない。
「けど」
「神使が間違いなど犯すはずがない、などと、思っているのですか?神使、皇帝、などと持て囃されようと、そもそも元老院ごとき部下に足元をすくわれ、自ら窮地に陥るような、そんな皇帝神使が、ですか」
「セネリオ、少し、言いすぎよ」
何もいえぬミストとボーレに助け舟を出してきたのは、訓練を終えたティアマトだった。休息中も常に鍛錬を欠かさず、ゆえに彼女の人馬一体の動きと斧さばきは、大いに皇帝軍を、ラグズ連合を助けていた。
だがセネリオは、ティアマトに対し己の言い分を訂正する気は、全くないようだった。躊躇いもなく言葉を重ねる。
「僕らがデイン人にとって侵略者であるということは、間違いありません。ですから、敢えて村落を避けているのです。そのことは、最初に説明したはずです」
そういえば、そういう説明は確かに聞いていた。
けれども、ミストは頭のどこかで、自分たちは―兄の選択は絶対に正しく、だから、デインの人も話せばきっと判ってくれるに違いないと、信じていた。
それは、ミストにとって、女神アスタルテに対する信仰と同じくらいに、当たり前の摂理だった。
だから、一応はセネリオの言葉に頷いてみたものの、どこかでは「なんとかなる」と考えていた。
「良い機会だから、あなたたちに言っておきます。今回の戦い、僕らに大義があるとは思わないでください」
セネリオの突然の宣告に、三人とも一瞬息を呑み、その言葉を各々理解するまで、わずかではあるが時間を要した。
「え…でも、神使さまが」
「ですから、その神使が問題なのですと言ったばかりでしょう。通常、他国の領土を通過する場合、その国の主たる王の許可なくば、通過することは不可能です。そのために、旅人や巡礼者、商人といった人々は通常、通行手形というものを発行してもらい、それを携え、旅をします。ですが軍隊となれば話は別、まして、ラグズの軍勢を引き連れながら、反ラグズの国を通るなど」
「で、でも…」
「仮に宗主国という立場であろうと、横暴を働くような真似を嫌っていたのは、他ならぬ皇帝神使、のはずですがね」
きっぱりと言い切るセネリオに、ミストは何も言うべき言葉などはない。そして、セネリオの言葉は今のミストにとっては、鋭利な刃物そのものだった。
「僕がデイン王の立場であっても、許可などしません。第一クリミアの平和な片田舎育ちの僕らに、一体デインの何が理解できるというのですか」
「おい、セネリオ。そりゃ、俺らはデインの連中がラグズを嫌う理由なんか知らねえ。けど、だいたいそのラグズを……」
「ボーレ、あなたがデイン人の感情を理解できないのと同じように、デイン人もあなたの感情を、理解出来ないのだといえば、理解できますか」
反論をしかけたボーレだったが、一瞬でセネリオに黙らせられてしまう。確かに、ラグズの友もいるボーレはデイン人の「反ラグズ感情」など理解出来ないし、したくもなかった。馬鹿げた偏見だと思っている。
「でもセネリオ、神使は、テリウスでは神の遣いに等しきお方じゃない」
「お忘れですか。この国は、ベグニオン帝国とは長年、関係が良好ではないことを。特にそれは宗教上の理由によります。加えて現ペレアス王の代になってから、反ラグズ政策は以前ほどの苛烈さを見せなくなりましたが、逆に帝国に対しては、安易に屈することがなくなっている」
「どういうこと?」
「先日のリバン河での戦、覚えていますか。動き、武装などから判断しても、彼らはデイン正規兵でした。にも関わらず、あくまでも義勇軍だ、と名乗っていたことは、覚えているでしょう」
「ええ……。あ。私が相手をしていた女騎士は…「暁の団だ」と、名乗ったわ。敢えて、名乗りをあげたとも…とれるわね」
「そういうことです。帝国には反抗せず、しかしながら屈するわけではない」
ミストは、セネリオの言葉の意味を、考えていた。義勇軍だろうが、正規軍だろうが、何が違うのか。ミストにはあまりよくはわからない。
けれど、あの時。そうだ、ジルは、自分に何といっただろう。
――ミスト。私、あなたとは戦えない。でも、戦いをやめる気もないんだ。
そう言ってにっこりと笑ったジルの笑顔は、ミストが見たこともないくらいに綺麗だった。
「デイン王ペレアス。下手をすれば、あの狂王アシュナードなどより、余程やりづらい相手です」
ミストの意識の外で、セネリオとティアマトの言葉は続いていた。けれどミストにとって、背後にいるであろうボーレのことも含んで、今は意味をなす何かではなかった。
彼女は親友の笑顔の意味を、考えていた。
「けれど以前、あなたは、暁の巫女の方が余程、人気があるのだと言っていたわよね?」
「……何か勘違いしていませんか。彼女の存在は、確かに将兵を鼓舞はしましょう。ですが、それとこれとは別です」
冷たい瞳が、ティアマトの疑念を封じ込めてしまう。
もとより、ボーレもミストもただただセネリオの言葉を聞くしかすべはない。
「なぜ、デインという国がこうも早く復興可能だったか。帝国から幾ばくかの援助は得たにせよ、クリミアがあそこまで立ち直るのに要した時を考えてください。そして、それを成したのは、このようにまともに戦を出来る状態にしたのは、そんなことを短期間でしてしまったのは、一体、誰なのか」
果たして「それ」が現国王その人であるか、或いは何れかのものであるかの判断は、セネリオにもつかない。それでもセネリオは断言した。同じことなのだ。
セネリオの言葉の間が、そのままその場の静寂だった。
だがセネリオは敢えて問うた。彼は、そういう態度をするようになっていた――グレイル傭兵団の参謀として、そしてこの大軍を率いる軍師として。
「巫女ではない何れかの者…現国王ペレアスか、或いは彼に近しいもの」
「そういうことです」
「あなた、そんなことまでつかんでいたの…?」
「当然でしょう。それに…敵を良く知らず戦うなど愚行の極み。なによりも、我々がデイン唯一の穀倉地帯であるパルメニー神殿付近には絶対に近づけなかった。全く、大軍にとって、何が最も脅威足りえるかをよく理解している」
セネリオが、兵糧の確保に頭を悩ませ続けていることは周知の事実だった。ただでさえ大軍であり、それもラグズが圧倒的多数を占める。食糧不足に彼らの不満が募っているのは明白であり、ティバーンが目を光らせていなければとっくにデイン村落を襲い壊滅させていたことだろう。そして、帝都への道のりは、まだ半分も来てはいないのだ。
「いずれにせよこの先は、覚悟をしておいた方が良いかと。そして、それは今までどおり、戦えば解決するようなものではありません」
「じゃあ、私たち、どうすればいいんだろう」
ぽつりと、小さく、ミストは呟く。その場にいる全員が、少女の言葉に吸い寄せられるように、彼女を注視したが、ミストは、それらに向かい真剣な眼差しを見せる。見せながら、今、手元にあのメダリオンがないことが、ひどく彼女を不安にさせていた。
「死にたくないのなら、武器を取りながら戦うしかありませんよ。もとより、ラグズ連合から始めた戦です」
わずかの沈黙の後、やがてもたらされたセネリオの言葉は、冷たい仮面のような彼らしい、ミストが最も可能性として望みたくはないものだった。容赦なく、セネリオは言葉を続ける。
「国境を無理矢理に越えたその時から、僕らは、デイン人にとっては侵略者であり敵です。その事は、よく、わかったのでしょう」
セネリオの言葉は、皮肉でも何でもない。現実だ。
ミストは、二の句が告げられなかった。
言い訳なども、出来なかった。
親友の笑顔を思い出し、セネリオの言葉の意味を考えると、何かを言えるわけがなかった。
Al Caph al Khadib al Thurayya......多くの小さなものたちの染めた手