垂直思考の戸惑い

*こちらは2017年2月発行同人誌[to tell a story-tell a tale]に収録済です。通販はBOOTHをご利用ください。

 敵の矢が、明らかに天舞う騎士を狙っている。あの騎士は、敵ではない。
 即座に、エディはそう判断をした。もう、身体は飛び出していた。

 視界の隅に、狙撃手を認めるのが遅かった。まずいと思いながら、せめて交わせるようにと意識だけはそちらに向けたつもりだった。だが、その瞬間に突風にあおられ、視界が舞い上がった砂に阻まれる。愛馬はその砂に体勢を崩してしまった。
 覚悟をした。
 だが、敵の矢尻は届かなかった。シグルーンは何事かと地上の様子を伺う。
 そこには、返り血のついた剣を乱暴にぬぐう少年の姿があった。


「間一髪のところを、有難うございました」

 にこりと微笑むシグルーンを、エディは一瞥するだけだった。一瞬、鼻白んだ少年は、微妙極まりない視線を一瞬よこしただけで、再び剣の手入れを開始した。よく見れば、柄の部分の細工にはデイン王家の紋様が刻み込まれている。彼が、恐らくは暁の団きっての剣士であるという少年だろう。

「当たり前だ。敵じゃないからな」

 ぶっきらぼうな口調は、言いえぬものを多く含んでいる。なぜ、などとはシグルーンは考えなかった。

「でも、悪いけど、ベグニオン軍人っていうだけで色々思い出すんだ」

 少年エディの言い分は、もっともだ。自分は間違いなく彼らの国を蹂躙し、隣人あるいは友人を殺したベグニオン帝国の人間なのだ。

「あなたのような剣士が、今は敵でないことを、女神に感謝しますよ」
「その女神の片割れだって、敵じゃないか」

 どこまでも流れる砂漠の砂をじっとにらんだまま、エディは断言する。取り付く島もない。そして、少年の言う通り、自分たちの共通の敵は、かの女神アスタルテだった。
 戸惑うことのない彼はの信ずるところは強い。シグルーンはそう思った。


「なんだ、らしくない顔だな」
「……ノイス」

 エディという快活な少年にしては、本当に珍しく歯切れの悪い口調だ。なんとなく理由は想像出来るのがノイスという男だったが、そこは敢えて言わない。
 どうした、という風に軽く促すノイスから、エディはぷいと目を逸らした。
 グラーヌ砂漠での戦いを終え、一同は砂漠のオアシスに野営の陣を敷いていた。ユンヌによれば、しばらく敵襲の気配はないらしい。「彼女」の言葉がどこまで信じられるかは、ここまでの戦いで皆が理解していたし、ベオクよりも視力に優れるガリアの戦士も同行している。
 焚き火の傍にいるのは、エディとノイスだけだった。とはいっても仲間たちは皆近くにはいるはずだ。

「…なんでもねえよ」
「お前にいつだってくっついているレオナルドだっていない。なんでもない顔じゃあないな」
「まったく、親父ヅラで親父みたいな事言ってさ!」
「おいおい、俺はそんな年じゃあないぞ」

 おどけるノイスだが、エディはそっぽを向いたままだった。何を言うべきなのか、迷っているのだろう。迷いがあると、エディという少年は態度にすぐ表れるのだ。

「俺さ、友達がいたんだよ。ずいぶん前に収容所入れられて、腹すかせて死んだけど」

 エディは、ノイスの方を見なかった。だがノイスは、少年の様子をさりげなく伺いながら、焚き火をかき回していた。

「だからかなぁ、最初は、ブラッドの事も割り切ったフリしてた。けど、ブラッドってああいう性格だろ。何回も助けられたし、話すると、ホントいい奴でさ。ローラもいたから、ブラッドは、仲間だって思ってる」

 唐突なエディの告白は、意外といえば意外だった。エディがブラッドに苦手意識のようなものでもあるのかとノイスは思っていたし、話したければ話すのがエディという少年なので、敢えて聞くこともしなかったのだ。それでも、何度も戦いを経てみれば、彼らはいつの間にか打ち解けていた。

「でも、……違うんだなぁ。俺、ブラッドの事は最初から好きだったんだよ、きっと。ローラがいきなり前線出てきた時はびっくりしたけど、ああいう女の子との思い出を大切にしてるってことだろ。それに、ブラッドはデイン人だった」

 ブラッドの戦いぶりというものは、戦いの素人でもある暁の団の面々にしてみれば、凄まじかった。そこは、兵士と義勇兵の違いというのもあったが、物静かな彼の中にある、譲れない程の信念とでもいうべきものが、そうさせるのだろうか。彼は、一度も迷いらしきものを見せたことはない。
 そういうブラッドという青年が、暁の団と行動を共にしていた、という事は大きい。迷いのない背に、何度励まされたろう。誰にも言っていない、けれどもそれはエディにとっては大切なものだった。剣が重い、と感じないための、一つの励みでもあった。

「そういうことは、あるかもしれんがな」
「俺さっき、ベグニオン軍の…ほら、あの綺麗な人、助けたんだよ。お礼言われて、でもな、…なんだか、どう答えていいのか、わからなかった」

 エディは、こちらを向く風もない。少年は、解放軍旗揚げのころから、だいぶ逞しくなっていた。最初こそ危なっかしく、解放軍剣士のツイハークに何度も訓練を受け、その度にこてんぱんにやられていたものだが、今はノイスの背中を守るほどになっている。正直、その成長の速さは凄まじかった。危うさを秘めたものだ、ともノイスはどこかで思っていた。
 結局のところ、ノイスの危惧は正しかったのだ。
 エディという少年は、率直だった。目の前で理不尽な仕打ちがあれば怒るし、それを怒りなのだと認められる。良くも悪くも、幼い。幼いが、純粋な強さだった。
 だが、ベグニオンやラグズ連合との戦いは、純粋で強いだけでは、とうてい戦い抜けるようなものではなかった。つらい思いを、山ほどしていた。ノイスが知らないところで、エディは多くの涙を流していたのだろう。今、こうして言葉を交わしていてもわかるのだ。
 それでも、純粋さをひたむきさを、エディという少年は結果的に失ってはいない。ノイスは、小さく嘆息をした。

「体は勝手に動いたんだよ。別に、今は、あの人たちは敵じゃないからな。けど、……敵だった。ベグニオン軍の所為で、たくさん、死んだ。目の前で、仲間だったやつらも殺された。だから、俺、割り切れなかった」

 エディがノイスを見る。見たこともないような、真剣な双眸が、じっと年上の男を見ていた。答えが欲しくて思いを語るレオナルドとは違う。エディは、自身で結論などは既に出している事の方が多いのだ。ただ、どこかにまだ迷いがある。だから、誰かに言葉として語ることで、その決意をゆるぎないものにする。

「ヌミダって、あのくそったれをたたっ斬た時もさ、…一緒に戦っていたのに、どうしてだろうな」

 割り切れない理由が明確で、それでもなお、どこかで違和感がある。だから、エディは言葉を繰り返す。繰り返して、確かめているのだろう。それが迷いをなおも加速させているのだ。

「共に戦う、か……女神の裁きがなけりゃ、一緒に戦うこともなかった。多分な、ずっと争い続けていたかもしれない」

 ノイスが言えば、エディは頷く。エディもまた、あの戦いがそういうものだと、肌で理解していたのだろう。軍を抜ける――そういう発言は、彼なりの、本気だったのだ。もちろん、それがかなうことのない無茶なことだと承知の上で。

「完全に打ち解ける、なんてのは土台無理なのさ。向こうだって、割り切れないものはあるだろう。だが、お前みたいに表に出さないのは、その分色々と経験している、そういう苦悩を散々してきてるからだ」

 ノイスの説教臭さはいつものことだ。けれども、エディは、常ならば聞き流してうっとおしい、と思うノイスの言葉に、黙って耳を傾けていた。ノイスの言う意味を、考えていた。

「考えてもみろ。ベグニオンなんて、そもそも国の中でまっぷたつだ。そういうところで、生き抜いているんだろうからな」

 皇帝サナキを拒まんとする元老院。そういう構図は、暁の団の面々も理解していた。そして、デインは元老院に逆らえなかった。逆らえる、わけがなかったのだ。
 それでも、エディには同じ国の人間同士が、二つに分かれ争う、ということがいまいち理解出来ない。デイン王国は、そもそも内乱というものを経験したことがなく、それは他国に比べ圧倒的に強い帰属意識がしてなのだ。同じ国の人間、それは、何よりも心強い絆になりうる。逆もまた、然りだった。

「ラグズ。そう言う言葉、俺、知らなかったんだけどな。今は、当たり前みたいに、使えてるのに」

 エディはそれきり、黙り込む。少年の顔は、彼らしからぬ苦渋に満ちている。

「実感した恐怖、そうじゃない恐怖。人の心なんてものは、頑ななようで脆いもんだ」
「よくわかんないなぁ、ノイスの言うことは」

 おどけて、振り向いた。わざとらしくため息をついて見せると、ノイスは口髭に手を伸ばし、やはり困ったように笑う。

「そうだなあ、俺は偏屈親父だからな」
「ちぇ、人ごとだと、思ってさ」

 拗ねてみせる声は、幾分か軽くなっていた。