その背は寂寞と佇みながら、あらゆる懸念を拒んでいるようにも見える。値打ちものであろう身に着けた衣服は強行軍のうちに擦り切れ、雪交じりの強風の中に立ち尽くすそれは、女神の奇跡により石化した多くの者と同様かそれ以上の硬質な印象を際立たせていた。
「よかったのか。あの騎士はお前の身を守ることを至上の命としているようだが?」
だからといって、言うべきか言わざるべきかなどというそのような迷いを、ティバーンは持たなかった。確信がなければそもそも口になどは出さない男だった。その確信は、恐らく彼に今声をかけることが可能なものなど、自分をおいて他にはいるまい、そういう王者らしい傲慢な考え方から来ていた。
だがそれだけではない。想像を絶するような強敵――女神そのものなどという神話めいた戦いを共にする仲間であると認めていればこそ、或いはやはりその存在、ベオクというものを認識させしめた一人の青年に対する友情めいたものがティバーンの胸中に存在していればこそだった。
「ベオクとラグズの道理は違うとはいえ、側近両名を真っ先に残存部隊に、そういう思惑を持っている鷹王のお言葉とは思えません」
振り返りすらもせずペレアスは応えた。言葉は素っ気無く、まったくぶっきらぼうだった。
脆弱な印象が否めなかったこの青年が、たった数回の実戦を経てこうも極端に変化してしまうという事を、未だ南海フェニキスの王は理解しきれてはいなかった。足手まといと言った言葉を覆す、などという表現で片付けてしまうにしては、その変化はあまりに急激すぎ、極端すぎた。
だからこそ、デインというフェニキス王国からすれば弱小国家に成り下った国の王は、ティバーンに強烈な存在感を知らしめるのだ。絶望の淵から一人這い上がってきたその強かさは、この青年の本質だったのだという強い確信を、ティバーンは持てている。
「この俺フェニキスの王に翼を折って地を這えと、まるでそういう口ぶりだな?」
冗談めいた口をきき、相手の態度の軟化を試みたところで、けれどもその立ち姿の纏う雰囲気が変じることはなかった。アイク直々に「女神アスタルテとの戦いに伴う」仲間として名指しされたその時、漆黒の魔道書を手に、確かにペレアスは淡い笑みを浮かべていた。このことは、側近二人は当然のことながらリュシオンにすら告げてはいない――何事も大げさにしてしまう幼馴染を誤魔化す術などは、ティバーンの中には幾つも存在していたのだ。
「そういう言い訳をするのがお前という男ということは知っている。だが、本当にそれだけなのか」
するとようやくペレアスは高々と聳える塔より視線を外し、友人に振り向く。だがティバーンの言葉に答えて、ではないのだろう。多くの――ラグズ的には実に形状しがたい、色彩で言えば冬の淀み、重い北の空の色のような表情が何よりの証拠だった。内なる懸念を吐き出すべく、その言葉は実にゆったりとしたもので、そして細い音をしていた。風切り羽が空を裂く音のようだ、とティバーンは思った。
「僕という存在で縛り続けるには、タウロニオという騎士は、あまりにデインに重たい存在なのです」
それだけをまったくはき捨てるかのような調子で言うと、ペレアスは再び背を向けた。この青年が感情の篭らぬ物言いをする時、ティバーンは胸の奥に形容しがたい不安と反発を覚える。違和感というにはけれどもティバーンはペレアスの事を多くは知らぬし、何よりペレアス自身が悟らせようとはしない。
羽織る外套が風に煽られ、濃紺の長衣とその右手が露になった。以前のように衣服で隠すことのなくなった不気味な傷を負っている手の甲は、闇夜に蠢く正体の知れぬ何かのようにティバーンに生理的な悪寒を抱かせる。
そして高い塔を見上げるその姿はさながら木枯らしの中に立ち枯れた老木のように見えた――デイン王国内の荒野に多く存在する古木は、灰色の空の下不気味に黒々とした姿を晒していた。ティバーンの知る限り、あのデインという国の色彩は灰色と黒と沈み込むような青色で構成され、かつての死したセリノスの森を彷彿とさせた。そのような不吉なものを連想させる姿は、やはり死に近い――だからといって、ティバーンに出来ることなどは、せいぜい無為に言葉をかけることくらいだろう。
こうして、言葉を交わしたところで以前のように芳しい言葉が返ってくるわけでもなかった。寵臣ともいえるタウロニオにすら素っ気無い態度しかとらぬのだ、友人だという自負を言葉にして憚らぬリュシオンならば兎も角、少なくとも自分に全てを打ち明け、或いは助力をこの青年が望んでいるなどとは流石にティバーンも思ってはいない。
そしてそれは、恐らくはこのデイン王の最後の矜持なのだ。
「ペレアス」
「これから先のこと。おそらく後世に正しくは伝えられぬであろうこと。その中で成さねばならぬこと。デインという国が、その場に加わることを許された、それだけでも十分なのです」
懸念するな、構わずとも良い。そういう態度は一貫したものだったのだが、ここ最近はあのリュシオンやアムリタでさえ容易に近づけず、強引なヤナフや純朴で害意などまったくありえないモゥディなどが時折行動を共にすることはあれど、基本的にあの「騎士」以外をペレアスは身辺に近づけてはいなかった。あのイズカという小男と対峙し、ペレアス自身の手で引導を渡したときからだ。それはあの暁の巫女に対しても同様で、互いの無事を確認し合ったようだ、という事は知ってはいたが、ペレアスは特に彼女らと共に居ようという気がないらしいこともその態度から察することは出来た。
ここまでの道程、そしてそれらの態度からティバーンという男が導き出せる結論は、一つしかない。
―――全てのことに、独りで立ち向かう。己自身をそこまで許せない。だからこそ。そういうつもりか。
実にペレアスらしい選択だ。そういう考え方をいつの間にかしている己に、そして自身で導き出した結論に、ティバーンは口の端を小さくゆがめ、笑う。
「お前は、謙虚なのか傲慢なのか。明確な答えを、この戦いが終わるまでくれるのか」
ティバーンの問いに、ペレアスは最後まで沈黙した背で応える。
ティバーンは浮かべている笑みをいっそう深めた。そういう背中をする者を、この空の王者は決して嫌いではなかった。