少年と英雄/sample3

 年が明けてテリウス暦六四八年。再び、雪が解け川に水が戻ってくる季節となった。
 多くの火種を内包したまま、旧王都ネヴァサには新しい駐屯軍指揮官が赴任してきた。決して名のある家柄の出身ではないその男は、だが兵卒から叩き上げで強引にその地位をもぎとったのだ。最終的な作戦の権限は相変わらずヌミダ公にあるものの、俗物の元老院議員はデインでせっせと収集した骨董品の検分に余念なく、新指揮官赴任の際も全てを委任しろくろくネヴァサの王城から出てこなかった。
 堅牢で無骨な王城の外周を、ベグニオン式の鎧が闊歩する。それは、この土地が既に制圧されたものなのだとの、駐屯軍の無言の主張だった。

「この俺が赴任したからには、反抗的で不愉快なデインの豚共など、悉く食い尽くしてやる。温情なんぞ不要だ。鉄と利益を生み出さんあいつらは大陸に巣食うゴミだ、何の価値もない」

 赤毛を刈り上げ、獲物を狙う狼のような鋭い双眸で眼下に広がる光景を見据え、口端を冷淡な笑みに歪めるその男こそ、ジェルドという名の新たなる抑圧者であった。

「収容所には、未だ余裕があるようです……やはりまずは、そこからでしょうか」背後に立つ、ジェルドよりは幾分か幅のあるがっしりとした体つきの男が伺いを立てると、ジェルドはすぐさま冷笑を消した。

「いや、まずは例の王子だ。デイン人狩りはそのついででいい。畜生以下の連中が人間同様希望を抱くなど、虫唾が走るからな」

 デイン王子の存在は、ベグニオン帝国の一部でも囁かれていることだった――恐らく、神使親衛隊でも掴んでいるだろう。彼らの動きに先んじてジェルドの急な派遣が決まったのは、クリミア同様の過ちを繰り返さぬための元老院派の工作の結果だった。ジェルドの仕事は、何処かに潜んでいるデイン王子の抹殺である。その所在は既に独自に掴んでおり、暗殺者を放ったが還ってはこなかった――それが、情報の正確さを物語っている、ジェルドはそう思った。間違いなく、デイン王子は存在している。

「アルダー、速やかに例の部隊を出発させろ。行き先は、パルメニー神殿だ」
「ジェルド将軍!あそこは…」
「デインの白豚どもの、俗悪な邪教徒共を殺すのに、お前は躊躇いを憶えるのか、アルダー?」
「いえ…」尚もアルダーは言いよどむ。彼は、それなりに敬虔な男で、朝夕の祈りも欠かさない男であったことをジェルドは思い出した。
「言い方を変えよう。あいつらが信仰しているモノは、俺たちの女神とは似て非なるものだ。だというのに、ソレを同じ名で呼ぶ。不遜を通り越して、冒涜だとは思わんか?そんな連中をのさばらせておくのか?」

 アルダーの顔色が変わった。邪教徒、などという言い方はそれこそ帝都シエネの大神殿でも、ごくごく一部の過激派しか使わぬ言い方だ。デイン独自の宗教体制を、己の権威を帯びやかさぬ程度にはと歴代の皇帝神使は認めてきていた。が、その皇帝神使の甘さにつけこみ、当のデインでは皇帝神使よりもデイン王を堂々と重んじ、帝国と対等であるというような態度だ。まったく、虫唾が走る。もっともジェルドは皇帝神使の権威がどうだとか、女神アスタルテの名が汚されているなどという忠義や信仰とは全く無縁の感情からデイン人を忌み嫌っていた――否、嫌っているのかどうか、自分自身でもわからなかった。

「わかりました。では、第五部隊を全て、派遣しましょう」
「魔道将ワゼカカか…姑息な男だが、こうした任務にはうってつけだな」
 神経質そうな面持ちの痩身を思い出し、ジェルドは再び冷笑した。

 新たに駐屯軍指揮官となったジェルド将軍は、以前とは比べ物にならない程に冷酷で、手段を選ばず、何よりも徹底していた。彼の目的は統治などではない――彼の目的は奪うことであり、殺すことであり、徹底的な弾圧だった。
 まず、彼は教会に手を出した。以前の指揮官は、総司令ヌミダですら手を出すことを遠慮していた教会に軍靴で踏み入り、司祭級の人間を全て拘束、収容所送りにした。小さな教会などには当然司祭など居ない場合は、その責任者を同様に扱い、またその際一部の教会からは女神像が取り払われ、破壊された――それが、いわゆる帝国が言う「邪教」であると彼らは言い、「邪教徒」は階級を問わず見習い、下男下女までも拘束され、責任者はその場で処刑された。
 教会という場所は、その国の民の生活をつかさどる場所でもある――一つの教会を支配すれば、芋づる式にそのつながりを利用し、掌握することが可能だった。だからこそ、ジェルドはまずネヴァサの中央に位置するルクレル大神殿を奪取した。デインでは宗教上、パルメニー神殿長トメナミが最高位の神官であり「司教」として国全体の信仰に纏わるあらゆるものを統括していたが、そのトメナミ司教に次ぐ地位を持つのが、ルクレル神殿長であり、トメナミと同位の「司教」位を賜っているシェスタという老齢の女性だった。駐屯軍が白昼堂々と扉を破壊、侵入しても動じることなく、その無作法ぶりと帝国の真意を毅然と問いただしたのだが、信仰篤い彼女に齎されたものは祝福でも疑問の回答でもなく、冷たい槍の一撃だった。

「邪教崇拝を黙認し、どころか女神アスタルテと同様に扱うなどという不遜な輩を、ベグニオン帝国は断じて許さん」

 枯れ枝のように腹部から折れ曲がり血と臓腑を滴らせる暗褐色の法衣を貫いた槍を掲げ、ジェルドは宣言した。

 彼がこのような強硬手段に出ることが出来たのは、帝国側の後押しがあったからに他ならない。
 そして、その後押しとは他ならぬ宰相セフェランその人である。皇帝神使サナキも、女神の代弁者たる神使を蔑ろにし、権威を脅かすのみでなくそうした根強い信仰こそが、デインが長年ベグニオンに屈せず抵抗を続けるそもそもの原因と解くと、快諾とまではゆかぬものの駐屯軍の弾圧行為を黙認した。皇帝神使と宰相、帝国市民に人気の高いこの二人が是とすれば、それは即ち帝国における大義となり得る。
 元々帝国では、先住民族の文化を融合させたデイン独自の文化や風習に対し否定的で、邪教徒という言葉をそのままデイン人司祭などに当てはめる人間も少なくはない。そして派遣されたのが、ジェルドという男だった。

 そうして、デイン人の最後の拠り所であった信仰の片翼を奪ったジェルドは、いま一つの希望を奪うべく動き出していた。


(中略)


「まったく、俺の前任者はひどく無能だったようだ。これだけの人数を何故見逃していた?デイン人狩りにうつつを抜かした結果がこれか?」

 報告書を机上に叩きつけるように置き、ジェルドは忌々しげに鼻を鳴らした。「ワゼカカには王子から目を離すなと伝えろ。それだけでいい。ザコどもには構うな」
 使者は素早く頷きを返すだけで退出した。余計なことを言わず、要点だけを伝える。必要最低限の役割を最大限に果たす、部下というものに対し、ジェルドはそれだけを強いた。してみれば、ワゼカカは上出来の部類だろう。判断を伺ってきてはいるが、ワゼカカは十中八九そのように動いている。あの魔道将をジェルドは取り立てて好いてもいなかったが、評価はしていた。

「アルダー。お前は引き続きデイン人狩りと叛乱つぶしの指揮を執れ。ダルレカ、マラド、ノクス…あの辺りは随分と生温い事をやっていたようだからな。俺は、神殿を潰しに行く」
「将軍自ら、お一人でですか?」
「騎竜部隊と第二部隊、それだけでいい。奇襲だ」
「…はあ、わかりました。それじゃあ俺らは、せいぜいデイン人狩りを派手にやるとしましょう」なんとも気のない返事だが、アルダーという男はいつでもこうだった。答えとごつい顔に浮かんだ笑みはジェルドの思惑に十分応えている。

「任せる」
 一言だけそう伝えるとジェルドは槍を手にとった。